川越めぐり |
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場所 | 本丸御殿:川越市郭町2丁目13番地1 TEL:049-224-6015 喜多院:川越市小仙波町1丁目20-1 TEL:049-222-0859 ※問い合わせはPM4:00まで |
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アクセス | 本丸御殿:JR川越線から東部バス札の辻下車8分 喜多院:JR川越駅からバス(最寄バス停はいろいろあるので聞いてください) 喜多院には大きな駐車場有 |
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料金 | 本丸御殿:大人100円 大・高生50円 喜多院(客殿・本堂・五百羅漢共通):大人400円 小・中学生200円 |
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お勧め度 | ママ:★★★★(江戸情緒満点。個人的には喜多院の天井の絵が好き!) 子供:★★★(武士っぽくてかっこよかった。羅漢様は顔がおもしろかった←失礼m(__)m) |
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許せる 所要時間 |
自宅から1時間30分程度だったら行く価値あり! | ||
公式HP | 川越市役所 本丸御殿 喜多院 |
地図 | 川越市のHPに地図あり |
川越は江戸時代から新河岸川を通じて江戸との交易が盛んで、「小江戸」といわれるほどにぎわっていました。その当時の街並みがそのまま保存され、蔵作りの街として多くの観光客を集めています。 街並みを美しくするために電線を土の中に埋めたり、景観を守るために規制を設けたり、いろいろな努力が実って、今でも落ち着いたとてもいい町です。実は管理人の実家は川越。今でもとても大好きな街です(^-^) 最近は菓子屋横丁と蔵作りが有名ですが、ちょっと地味ながら、川越のお気に入りスポットを紹介します♪ 今回は建物めぐりということで、本丸御殿〜三芳野神社〜喜多院と散策してきました。 まずはじめに本丸御殿へ。 1639年に藩主になった松平信綱が川越城の基礎を作りました。城は全ての敷地を合わせると4万6千坪に及ぶ広大なものでした。現在の川越高校、川越小学校、川越第一小学校、三芳野神社、初雁中学校全て川越城の跡地に建てられたものです。どんなに広かったか分かりますねー。 現在残っている本丸御殿は1848年に松平斉典が建てた物。残念ながら明治維新後にほとんどの建物は解体され、現在は玄関部分と家老の詰所だけが残っています。 それでも当時の雰囲気を伝える、大変重厚な作り。武士の息遣いが聞こえてきそうです。 |
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まずは広い廊下を通り広間へ。さすが広大な川越城の表門。広間も36畳の広々とした作りです。でも装飾が華美でなく、落ち着いていて、いかにも武士の館にふさわしい雰囲気です。 でもよく見ると杉戸には美しい絵が描かれていたり、欄間には精巧な細工が施されています。こういう作りは木材の美しさが際立ちますねー。居るだけで癒される感じがします。
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奥には家老の詰所があります。こちらは家老の人形が置かれ、なにか相談をしている様子を再現。この部屋は10畳かな。意外と質素ですね。本丸御殿を見て思うのが、表は立派だけど、中の家臣が使う部屋はビックリするぐらい小さいこと。城というと、どの部屋も大きく華美なものを想像してしまうけど、当時とすれば県庁みたいなものですものね、とても実用的な感じすらします。「質実剛健」という言葉がぴったり! こんなところに、当時の武士の暮らしを想像してなるほどーと勝手に納得してしまいました(笑)
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本丸御殿の前には小さな「三芳野神社」という神社があります。「とおりゃんせ」という童謡は皆さんもご存知ですよね。あの童謡の舞台がこの神社なんです。あの童謡「ここはどこの細道じゃ、天神様の細道じゃ。ちっと通してくだしゃんせ。御用のないものとおしゃせぬ。」という、ちょっと不思議な歌詞ですよね。これは、当時川越城内にこの神社があった為、なかなか入れなかったことに由来しているらしいんです。そう思いながらみると、この細い参道もいわくありげに見えるから不思議(笑) 境内には川越に伝わる7つの不思議な話を書いた看板もあります。 川越城に一大事があると突然霧をだし、川越城を隠したという「霧吹きの井戸」の伝説などが書かれています。 小さいですが、当時から続くこの神社も川越らしいスポットだと思います(^-^)
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次に訪れたのは喜多院。ここは開山は奈良時代までさかのぼると伝えられている、大変古いお寺です。山門にかかる「星野山」の額は後奈良天皇の筆によるものとか。一時勢いがなくなっていたときもあったようですが、江戸時代になって、天海僧正がこの寺に入り、家康との深いつながりから、また勢いを取り戻したようです。 観光スポットとしてすごいところは、ここの客殿は江戸城を移築したものということです!三代将軍家光の時、川越大火で喜多院が焼失、知らせを聞いた家光が江戸城の別館を移築して、客殿、書院に当てました。そのため、ここのお寺の客殿は当時の江戸城がそのまま残っているんです。 「家光誕生の間」「春日局化粧の間」など、なんでこんなところに?!と思うような江戸城の奥深くにあった部屋をここで見る事ができます。 本丸御殿と比べるとその豪華さは段違い。さすが江戸城です。家光誕生の間には天井一面に美しい花の絵が描かれ、まさに将軍が生まれるにふさわしい豪華さ。春日の局の持ち物も、漆塗りの立派なものばかりです。家光が使用していた食器などもここで見る事ができます。 残念なことにここは完全に撮影禁止。本当は写真を撮影して、上の本丸御殿と比較したかったんだけど、しょうがありません。ぜひ一度訪れてみてみてください。江戸城自体は火災で焼失してしまっているので、移築された一部だけを川越で見られるというのも不思議なものですねー。 唯一撮影が可能だった、庭の部分と外から見た本堂への渡り廊下を掲載します。渡り廊下は「ウグイス張り」になっていて、あるくとウグイスの鳴き声のような「ピィピィ」という音がします。ここの他では二条城で見たことがあったような・・・。不審者が入ってこないようにとのことだったと思います。
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喜多院の境内には「五百羅漢」という石像があります。この石の羅漢さん、なんと本当に535体もあるんです。天命2年(1482)〜文政8年(1825)の約五十年かかって作られたこの羅漢さん、表情も、しぐさも本当にユニークで、人間味にあふれています。 とりあえず、私達は、自分に似た羅漢さんを探すことに!どれもこれもすっごく特徴があって、どこかでみたような顔ばかり。結局息子がこれは俺に似ている!という羅漢様を見つけ、記念撮影!(笑)いわれてみれば似ている気が・・・(^^ゞ 隅々まで見て回りましたが、みているだけで微笑んでしまうような楽しそうな羅漢さんの様子です。中にはお酒を酌み交わしているものまで。すかさず子供たちが「お母さんに似ている〜〜!」…それ、しぐさが似ているってことっ?!(T-T) この羅漢様には、「夜中に詣でて、頭をなでると必ず温かいものがある。その羅漢様の顔はなくなった親族に似ている」という伝説があります。亡くなった人が、仏様のそばに居るということになれば、残された親族もきっと心が休まりますよね〜(^-^)
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喜多院の山門の脇に、めずらしいギンモクセイが咲いていました。キンモクセイと同じ花の形だけど、香りが少し違います。キンモクセイは甘い香りだけど、ギンモクセイは少し香水のような上品な香りがします。この時はちょうど盛りの季節で、山門わきの木に真っ白な花をつけ、それが風で落ちていくのがまるで雪がふっているように綺麗でした。
山門わきの売店で名物の「イモアイス」を買い、ギンモクセイを見ながら帰路につきました(^-^) 川越には紹介した場所以外にもたくさんの素敵な場所があります。市内循環バスもたくさん出ていますし、よくできた観光マップもいろいろなところで配っています。ぜひ1日かけて、のんびり情緒を味わってもらえるといいなぁと思います(^-^) |
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注:川越祭りの期間中は上記の施設の一部が見学不可になる可能性があります。 |